フィーリングの重要性について
こんにちは!愛知県名古屋市の産業医の馬渕青陽と申します。
今日は「フィーリングの重要性」についてです。
私は多くの人を見てきたので、人をパッとみると、「フィーリング」でどんな方なのかが、ある程度わかります。
もちろんパーソナリティ障害や発達特性といったある意味個性的な要素もわかるのですが、
具合が悪そう、良さそう、納得していそう、納得していなさそうなど、その人の状態もなんとなくわかります。
「フィーリング」は結構バカになりませんし、折に触れて自分を救ってくれたり、予想外に良い結果を出してくれたりします。
正直、私の医師としての強みの一つはこの「フィーリング」だと思います。
「フィーリング」は検査のように数字で出ることもないし、客観的に評価することも難しいので、
医師の中では客観的に評価することのできる「医学知識」「エビデンス」をベースに判断していくというのが主流です。
ですので、ある意味当然ですが、私が医学部で勉強する中では、「フィーリング」の話は聞いたことがありませんでした。
しかし、私の経験上、「医学知識」「エビデンス」は間違いなく重要なのですが、
それにばかり頼っていると現実の医療では立ち行かないこともあります。
人間の生理現象には「医学知識」「エビデンス」では説明しきれないことが起こりますし、
それは自分自身や周囲の人には「フィーリング」として伝わります。
ですので、私は「フィーリング」は「見立て」に直結していると思っておりとても大事だと思っております。
ここで、「フィーリング」が私を救ってくれた具体例についてお話ししましょう(多少詳細をぼかしています)。
ある病院で救急外来をしていた時に、呂律が回らないということで受診をしてきた高齢の患者さん。
その前の日にも受診をしていて、採血や頭部CT、MRIも実施されて特に所見はないということで帰宅になっていました。
しかし症状が改善しないということで受診をされました。
もしかしたら脳梗塞?と思って頭部CT、MRIを再度撮影し、血液検査も実施しましたが特に所見はなし。
客観的には呂律は回っていそうで、なんとなく呂律が回っていないかな?というくらいでした。
普通に判断したら脳梗塞は検査結果から否定する流れになり、帰宅させるという判断もあったかもしれないのですが、
ご家族がなんとなくおかしいとおっしゃること(これも「フィーリング」の一つですね)、
そして僕自身も「フィーリング」でなんかまずそうだと感じて、経過観察入院としました。
そうしたところ、週明けのCTでは脳幹部に低吸収域が出現して脳幹梗塞が判明しました。
ご本人にもご家族にも、当初は病気を見逃したのではないかと不信感を抱かれたようでしたが、
幸いにして、入院していただく時に今の段階では検査に現れないけど、
後から検査所見が出てきて診断がつくことはありますよと説明していたおかげで、
最終的には納得して頂くことができました。
医学書には脳梗塞は急性期にはMRIの拡散強調像で高信号域になると習うのですが、
この例はそうではありませんでした。
もちろん入院させずに帰していたとしても見逃しとは言われにくい例なのではないかと思います。
リスク管理という点では「エビデンス」「医学知識」はとても重要だと思いますし、
「フィーリング」ではなんの説得力もないと思いますが、
目の前の患者さんを治すという点では「エビデンス」「医学知識」に加えて「フィーリング」も重要だと感じています。
そして、「エビデンス」「医学知識」に関しては医師や医療関係者が持っている部分が大きいと思うのですが、
「フィーリング」に関しては必ずしも医師が感じ取るとは限らず、長く接しているご本人やご家族、同僚や上司の方が感じ取りやすいというところがあるのかなと思っています。
なので、私は産業医として、「なんとなくおかしい」「なんとなくヤバそう」などの「フィーリング」を大切にしていますし、
相談者や担当者の方の「フィーリング」も相談していただけたらと思っています。
私のように「フィーリング」を大切にしていることを公言している医師・産業医はとても珍しいかもしれませんが、
「フィーリング」を大切にすることが結果につながっていると感じています。
この記事を読んでくださったみなさんの健康的な生活につながることを祈っております。